大好き

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前回の更新から ずいぶんと時間がたってしまったな。。。

心構えというか 覚悟というか シュミレーションっというか・・・
考えたくも想像もしたくなかったことだからこそ 考えてしまうことだった
祖父が、とうとう一生会えないところへいってしまった4月5日。
よやっと駆けつけたとき祖父は入棺の時でおくりびとさんにきれいにしてもらって
着替えさせてもらっていた。

“あー、とうさん本当に本当に死んじゃったんだ。。。”

熱い涙がどんどん溢れてきて悲しくて悲しくていたら
膝の上に座っていた王子が しくしくと声を抑えて泣く私の頭を身を振り乱しなでなでしだした。
そんな優しさにもかまっていられないくらい 顔は大洪水でいると
王子が今度は立って私の顔を両手で押さえてオデコとオデコを合わせて
一生懸命に私の顔を力ずくに上げて チューしようとしだした。
いつも王子がチューしてくれると私は大喜びするからだったのかな?
そんな王子に救われた。
亡くなった当日は駆けつけられなかったけど 家で朝方まで泣きすぎて眠れず
駆けつけた日は 前日朝まで起きていた弟を寝かせ私一人起きていた。
祖父の息子の父と叔父は飲み過ぎと二日酔いで現実逃避中?で爆睡。。。
私も寝そうだったから せっせっと夜中じゅう 祖母のためにキッチンの大掃除を始めた。
朝方の4時くらいかな ふと、我に帰り寂しさからか急に怖くなりだして体がぶるぶるしだしちゃって
旦那を叩き起こしたりもしたけど この日、火葬場に行ったり 
王子の正装着探しにデパート行ったりして41時間起きていた自分にびっくり。。。
でも もっとびっくりしたのは 
・・・祖父の遺影の前で ワンピーズで眠りに落ちてしまった私の乳を王子が飲んでて 
そのままのスタイルだったから おっぱいとパンツ丸出しで寝ていた自分だ。
みんなが驚くところはもっとあるぜ~、
2歳5ヶ月の王子まだおっぱい飲んでるぜ~、
最近じゃ~「でない、でない、」っとすごい目つきで怒ってるぜ~
も~うるさいから こっそり水で薄めたカラシ付けてやったぜ~
普通に飲んでたぜ~~~ 辛くないのかぁ~?
ワイルドな味覚だぜ~。。。

っと・・・祖父のことで しばらく落ち込みすぎてたけど
今はもう元気もりもりだぜ~~。。。


30代に40時間は過酷すぎたようだな。
でも 寝ないで朦朧としていたから普通の自分がたもてたのかもしれない。
正気だったら 取り乱してたんじゃないかって思うほど悲しみで崩れてしまいそうだった。

祖父の家は家の前に2つ 小屋のような工場があって 一つは祖父が自分で基礎から建てた小屋がある
その二階がとうさんの仕事場でいつもそこから海を見ていた。

北斗市

木だけでできている小屋。 二階をとうさんが歩いていたらすぐ二階のどこにいるかわかるくらいだった。

っと 父が外から慌てて家に入ってきて
「今だれか小屋の二階にいったが~?」って
誰もいっていない。
足音がしていたって、入院中ずっと早く稼ぎたいって手を動かしていたとうさん。
よかったね とうさん。
あまりにもリアルに話す父を見て 弟がちょっと小屋見てくるって行った。
ココからは弟の話なんだけど

「お父さんがオレを呼びに小屋に来たんだけど 二階にいたし
オレ電話してたから返事できなくて 降りていこうと思ったら ドアがバンって閉まったから
二階の窓から外見たら お父さんすっげーダッシュで家に戻ってたさ(笑)
なんかびびってたでーうける(笑)」

二階に居た弟の足音にびびったに違いない(笑) 

そのあと お祖父ちゃんのいつもの席で
おじいちゃんのタバコの吸殻がいっぱい残ってる灰皿を使って一服してたという弟。
雨の降り具合を見ながら景色を写真に残すのに必死になってて
自分のタバコの火がお祖父ちゃんの盛りだくさんの吸殻に燻って
弟自身の後ろで もくもくと白い煙がたってたようで
その煙を人影かと思い心臓飛び出るくらい ビビッたと話してた弟。。。
うけますがな・・・。

お祖父ちゃん 全てのことにありがとう。
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待ちに待ったこの日。

母方の祖母のお墓参りのため 函館へ母と王子と3人JRで行ってきた。
お墓参りもすごく大事だけど 私はいち早く父方の祖父母に会いたかった。
母を従兄妹の家に送り 弟と祖父の入院する病院へ。。。

お正月 最後に会ったときとは

「次ぎ会うときは元気なってるからな」って言っていたとうさん。

全てが変わり果てていて
鼻からの管で食品を注入して 目はたまに5秒くらいあけるけど
私をじっと見て また目を閉じる・・・

------------モシカシタラ、ワタシノコトモワカラナイノダロウ--------------

話すこともできなくなっていた祖父。

どうして私、もっと早く会いにもっともっとこなかったんだろう・・・
どうして 肺炎で意識不明になったとき駆けつけなかったんだろう・・・

私、


ほんとバカだ。。。


バカすぎるでまったく。


悔やんでも悔やんでも とうさんの笑顔にはもう二度と会えない。


弟が「だんだん自分で何もできなくなってきているけど
それでもオレの顔見ると ニターってすごい笑顔見せてくれるんだよ。
あの笑顔見たら 涙こらえるのでいっぱいになる。」


って話してたときも 無理してでも会いにいけばよかった。
私、だいたいどういう笑顔しているかなんて想像ができるから・・・って
こんなに後悔すること考えたりしていなかった。

バカだ。

2泊3日で函館にいた帰る日は午前中に祖父に会いに行った。
一昨日より昨日よリ調子が良かったのか 肩を叩きながら
とうさんと呼ぶと すごく長い間目を開けて私を見ていた。
とうさんの大きな手を触ると 一生懸命に私の手を確かめるように
親指を動かして握ってくれた。
王子の手を持っていくと 小さい手を触るように優しい握り方をしてくれた。
私たちに何も返せないけど 父さんは全部聴こえているし わかっているんだと信じた瞬間だった。

弟ととうさんの顔をはさみ向かい合って 他愛ない話を大きな声でした。
どこか安心しているように見えた。
こんな中 許せないのが私の実の父だ。
現実を見たくないからか この日は祖母もお見舞いにこれないし誰も祖父に会いにこないというのだ。
こんなことってあるのか?
現実を受け入れられないとか こんな状態のとうさんを見たくないとか
父なりに思うことはあるのもわかるけど もうそんなことを言っている場合ではないこともわからないと。。
父とおじいちゃんにしか持っていない時間もあるように今できること少なくても
考えてほしい。。。
自分の父だけど その態度と行動にすごく衝撃に似たショックを受けた。

一年に1回くらいしか会えない王子(父にとったら初孫)にだって
せっかく近くに来ているのに会いたくはないのか?

父は本当に寂しい人になったもんだ。。。

どこか寂しいところを元々持っている人だから 弟と私を手放せたんだな。
っとさすがの私も卑屈になった。

そんなこともあってか 祖父ともっともっと一緒にいたかった。
心苦しい思いをしたまま帰ってきた。


今王子が遅い夕方寝していて 旦那もいない一人になると
こみ上げてくるものがある・・・私はいつも自分が辛いことだと認めるには
泣かないと現実を整理できない。
祖父を思うとき いつも温かい思い出ばかりが昨日のことのように思い出せる
この思い どうかとうさんに届け・・・

一日でも早くまた会いに行く。
今生きている全ての人間は生まれた途端、死へ向かって歩き始めている。
そんなのわかってる、生きているんだからわかってる。
人間の死亡率は100%なんだ。

苦痛や不安、悲しさ、辛さ、、悔しさ、恐ろしさ
色々あるけれど・・・嫌なことっていっぱいあるけど

それもこれも生きている証。

よく“生きていたら悪いことばかりじゃない”と言うけど
良いこと、嬉しいこと、楽しいこと、幸せを感じることは
自分で見つけて頑張って何か起こさないと手に入らない。
勝手に喜びの種は降り注いではこない。

なのに
なのにさ
悲しみは何で何もしていないのに ただ生きているだけなのに
勝手に迫ってくる。これを逃れるためには
誰に頼めばいいの?
何を頑張ればいいの?


おじいちゃんが不治の病になった。。。


おじいちゃんなのに「とうさん」っと呼んで育った私。
まだ信じられない、信用したくない。
嘘みたいな話。

私が生まれてから小学3年生くらいまで一緒に住んでて
何年か別々に暮らしていたけど 中学生になり二世帯の新居で
常に下の家で暮らす祖父母の存在を感じながら育った私。

そして、とうさんが大好きな私。

漁師と煮干や網工場を営んでいたから おんぼろな青いトラックで
網を卸しに行くおじいちゃんに金魚のふんと言われてもついていきたくて
トラックの荷台にこっそり乗って待っていたら動き出して怖い思いしたときも
近所の犬に追いかけられて噛まれそうになったから怖い怖いって言ってるときも
私の頭を大きな手で撫でて
「どら~こい、とうさん抱っこしてたら怖くねーべ」って
抱っこしてくれたっけな。。。
ずいぶんと大きくなっても抱っこしてくれてたな。ふふふ
ひとつひとつ とうさんを思う時、
いっぱいの あったかい思い出が溢れてくる。


本当にもう・・・どうしよう。
悲しすぎて涙も出てこない。

って毎晩気がつくと泣いてるくせにさ。

昨晩はJUJUが深夜番組で「また明日」歌うから辛くなって。
今夜は写真整理してたら王子を嬉しそうに抱くとうさんが見えたから。
会いたくて、会いたくて・・・




悪性の一番たちの悪い悪性の脳腫瘍を持っていたとうさん。
最初は祖父母の近くに住む弟から「とうさんが倒れた、今から病院行って来る」
っと電話連絡があったのは先月の初め。

検査結果は、
良性の腫瘍があって 運動機能の邪魔になっているけど悪いものではないから
そのままとらないで回復次第退院と言っていたので安心してた。
お見舞いに行った弟は
「とうさん顔中傷だらけだったさ~」って笑いながら私に電話してきた。
どうやら 顔から転んで起き上がっても体が言うことをきかなくて
何度も何度も転んでは這い上がるを繰り返して顔中血だらけになった様。
その顔を見た父が引きずってでも病院へ連れてっての、今回。
一週間してもとうさんの眩暈もとれなく 切なくなったとうさんは医師に
腫瘍を採ってくれと頼んだので 緊急で6時間もの手術が行われた。
みんなホッとした悪いものではないにしても採ったほうが また同じことにはならないから。
そのときも6時間もの大手術だし駆けつけたかったんだけど
旦那は仕事忙しそうだし JRで暴れん坊の王子と3時間は大変かな~っと
ずいぶん悩んだけど諦めた。けどすごく後悔した、行きたかった。
顔見るだけでも違ったのに。とうさんが頑張っている6時間考えっぱなしだった。
無事に手術も終わり あとは体力と歩行が回復したら元の生活に戻れると思っていたのに。


手術で採った腫瘍の病理検査結果。


私も父や弟から聞いただけなんだけど
悪性の腫瘍でステージ5の末期がん。余命1年から1年半。
脳の腫瘍はどこかの臓器からの転移だと推測されるが
腫瘍マーカーも正常値。MRIでも疑わしい臓器はないらしい。
それなのに末期ってなんなのさ。意味がわからない。
脳の癌は他の臓器と違って腫瘍の種類で予後が決まってくるのか?
ネットで色々調べるも悪いことしか書いていない。
電話で話す父に対しても私にも本当のことを話していないのかもしれないと思ってしまうほど。

いてもたってもいられなくて 王子を連れJRで会いに行った。
前夜2時間しか寝ていない王子だか 信じられないほどのテンションの高さに
自由席と指定席を行ったりきたり。。。
今の時点でとうさん本人には余命宣告などは一切告げず良性の腫瘍ってことになっているせいか
とっても明るくて元気だった。
周りの人間だけが自分の余命を知らされていて悲しんでいることを誰が望むだろう。

命のカウントダウンを知らされた今。

残されたとうさんの時間。

私はあと何回とうさんに会えるだろう?

あと何回一緒に食事できるだろう?

あと何回一緒に笑い合えるだろう?

父に覚悟しとけって言われたけど そんなの無理。

ばかじゃないのまったく。



誰も自分の最後の時を知らない。
今回のとうさんのことで すごく色んなことを考えた。
でも何も見つからないよ。
悲しい寂しい失いたくない。
そんな言葉ばかりが消えないんだもん。
こうして打っている間も 
学生時代に毎日毎日学校の迎えをしてくれてたとうさんが学生がいっぱい歩いている中から
私の姿を見つけると 嬉しそうに「あやっ」って車の窓から満面の笑みで向かえてくれてた
とうさんの顔が頭に浮かんできた。
なんであの時、私迎えにきてもらっているくせに面倒くさい表情しちゃったんだろう。。。
もっともっと とうさんに甘えて素直にとうさんのこと大好きだって行動してたらよかった。

残された時間どうしていこうと考えているうちに もう1年たっちまうよ・・・
死なないでよ とうさん。
子供がいなかったから気が付かなかっただけなのか?
今いる札幌近郊は函館ではあまり見なかった水遊びができる公園が多い。
よくいくスーパーの横の噴水では プールか?
ってくらい裸の子供が水遊びしている光景には驚いた。
なんせ地元じゃないせいもあって 土地勘もないし友達もいない私。
でも だからといって我が子のことを思ったら 
このくそ暑い中家にこもっているなんてもったいないよな。。
色々いったんだけど 王子と二人のせいか写真を忘れること多々。。。

携帯から・・・
森林浴1

このときはまだ涼しかったりもした7月
森林浴2

こういう池?みたいな公園にこれだけの柵ですかね?
近所にあってほしくない 落ちたら怖い怖い。ドラマの見すぎかな?
あの仲間由紀恵と壇さんのドラマを思い出しちまっただ。
もうここの公園は来ないと決めた。
川?

どうりで水遊びもできるところあったのに 誰一人子ども居なかったな。
公園4

モエレ沼公園
モエレ沼
ここはすごかった・・・人口の山とかガラス張りの建物とか
ここの地主は誰だーーーーーーーーーーーすごすぎるぜっ。


王子と近所のスーパーとこの噴水へ泳ぐ気マンマンスタイルに着替えさせ出かけたが
掃除中で入れなかったがために 少し先の何か小さい公園。
・・・
写真は空いてるけど この狭い水遊びスペースに子供20人くらいはいた。
何かの団体?やがてこの写真撮る頃は弁当食べだしてた。。。

あーぁ、もう夏も終わる。。。
私が病気しなかったら もっともっと連れ出してあげられたのにな。
来年はもっともっと思いでを作りに出かけようと心に決めたのである。
みなさま・・・
この場を借りて

新年明けまして
おめでとうございま

した。


今年は何を思ったか・・・
年賀状を1枚も書かなかったグータラ者です。
こんなあたしへ新年の挨拶を送ってくれた方々
どうか、どうか見捨てないでください

近々 挨拶状を送りつけます。


正月は私の実家で
蟹様
愛しの蟹様や

船守
船盛や

ご馳走
母の手料理でワイワイ年越しを過ごしていましたヾ(♥ó㉨ò)ノ♡

後日、旦那の実家のある函館へ車で行き 大きくなった王子の顔を無事届け
函館には私の可愛い可愛い弟夫婦と従兄妹がいるので
従姉妹家に2泊させてもらってきました~。
私が蟹様のとりこだということは有名で用意しててくれて感動(☄ฺ♛ฺд♛ฺ)
従兄妹宅
あわび煮やローストビーフとおばさんの手作り料理を美味しく頂いて
デザートに蟹様を腹いっぱい腹いっぱい頂きました。
あ~写真見てたらまた食べたくなってきちゃった~~
ε=ε=ε=ε=ヽ(* ̄∇ ̄)ノ蟹様~~~ε=ε=ε=ε=ヽ(* ̄∇ ̄)ノ蟹様

翌日までも、函館に住んでいたときにもよく連れてってもらっていた
いずみ亭へ
いずみ亭

もう至れり尽くせりのお正月でした。

弟夫婦とも二日間とも会えて一緒に食事もできて本当に充実できた。
っというのも、今まで王子を妊娠して生まれてからもずっと弟の嫁とは
会えないままでした。
今回会えたのは 弟夫婦にも赤ちゃんを授かることができたから
私の王子を見ても大丈夫になったそうで・・・(´Д`
あのままずっと弟夫婦に赤ちゃんが授からなかったら
ずっーっと会えなかったのかな?♪~(-ε- ;)??
でも 行ったときは弟は一人で会いに来てくれていたから別にいいんだけどね。
少しだけど お腹の膨らんでいた弟の嫁、何だか懐かしかったな。
どうか元気に生まれてくるんだよ~~っとガン見してきました。

さてさて雪かきでもしてくるか~~♪
10月29日・・・
ついにこの日がきてしまった、実家で飼っていた愛猫のミーちゃんとの
永遠の別れ。。。

22年前の9月1日、小学生の私は3つ下の弟と遊んでいると 
近所の子がまだ生まれて3週間くらいの子猫を私のところに連れてきたのが
ミーちゃんとの運命の出会いだった。
空き地に秘密基地みたいな場所を作って そこにミーちゃんが寒くないようにダンボールを何重にもして
できる限りのことをして守ったっけ。。。
昔から猫が大好きだった母は、可愛いのは100も承知だったからこそ連れてこないで
って断固拒否だった。でもニュースで二日後から台風の影響で大荒れを知った母

「台風がすぎるまで家に入れてもいいよ」

と、私には天使のささやきに聞こえた(笑)
台風のおかげでだ(●´艸`)ヾ
も~嬉しくて嬉しくて嬉しくて弟と走って学校から帰ってきたっけな~♪

が、

しかし学校から帰ってくると母が目を真っ赤にしてる

* ◕ฺิд◕ฺิ.)* ◕ฺิд◕ฺิ.)* ◕ฺิд◕ฺิ.)エエエエェェェl!!!

ぐったりしているミーちゃん。。。

掃除機をかけていた母が布団の下にいたミーちゃんに気がつけず踏んでしまったというのです。
獣医に助からないと言われてから かれこれ22年もミーちゃんは生きました。
動物への情は1時間もあればしっかり付いてしまうもので
布団で一緒に寝てしまったら もう手放すことはできなかった我が家でした。

寝るときはいつも二段ベッドの上の私の布団へ入ってきて寝てたな、

本を読んでいたらいつも邪魔されて 破かれてたな、

首を撫で撫でしてあげたら まるでお返しに手や顔を舐めってくれたな、

学校まで電信柱に隠れながら着いてきちゃって遅刻した日もあったな、

地震の時 ミーちゃんが外に脱走したから一旦は置いて非難したけど
命の危険をも考えずに ミーちゃんを探しに戻ったりもしたっけな、

朝目覚めたら 私の布団で赤ちゃんを産んでてびっくりしたっけな、

私は中学、高校と成長していくにつれどんどんミーちゃんから離れちゃった。
「お嫁に行くときも一緒に連れて行く」っと言ってたのにな。
ずっと母に任せっきりできた。
だから母とミーちゃんの絆はすごいと実感した。
母は22年も一緒に居るのは動物だけどミーちゃんが一番長い。
引越しを7回もしたけどずっと母とミーちゃんは一緒だった。
私だって母とは20年も一緒に過ごしていない。
だから母にとってのミーちゃんと 私にとってのミーちゃんの存在は別物で・・・
ミーちゃんがいなくなって悲しいけど 母とミーちゃんとの絆を思うともっとに悲しい。
ミーちゃんが死んじゃったとの知らせでなりふりかまわず王子を抱いてJRに飛び込み

「今行くからねミーちゃん」

と何度も何度も言って駆けつけた私。

仕事を終えJRで3時間かけて深夜に駆けつけた弟。

ペットの死にそこまで?っと思うかもしれないけど
私たち家族にはかけがえのない本当に大切な大切なミーちゃんとの22年だった。
ミーちゃんから いっぱいのものをもらった。
ミーちゃんとの時間が全然なくなっても 
かまってあげられなくなっても
年に何回しか会えなくなっても
いつもいつでもどんなときも 
ミーちゃんは大きな心で優しい目で何年も変わらず母の元で私たちを待ってくれていた。

大好きなミーちゃん。。。

まだそんなミーちゃんが押入れにもいないなんて信じられないよ。

やっぱり


悲しいよ、

寂しいよ、

帰ってきてよミーちゃん。





翌朝、弟の奥さんから泣いて電話がありました。

ご懐妊です。

こういうのってありですか?

弟たち夫婦は今回で4度目の体外受精です。
4度目で成功。

ペットを含めて親族に定員人数ってあるのですか?
弟は「ミーちゃんの生まれ変わりだから名前は“ミツコ”だ」って・・・
( ̄▽ ̄;)アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

ずっとずっと引っかかったままだった弟たち夫婦との関係。
それはまた次回。。。

ミーちゃん、22年間母のずっとずっと母のそばにいてくれてありがとう。
いっぱいの幸せありがとう。
私の過去を思い出すときいつもミーちゃんがいます。
私の人生にミーちゃんがいてくれてよかった。

ミーちゃん

ずっと忘れない。
ァ・・・タ・・・し・・・
久々に眠れない・・・
かれこれこないだ眠れなかった翌日は
ロールケーキ
こんな美味しそうなお土産を持って大好きな従姉妹のアユがお泊りにきたっけ。

そして今夜も眠れない明日の予定はというと、実家に泊まりに行くの(爆)
いやね 実家へは車で30分もあれば着く距離だから
一週間に一度は遊びに行っているんだけどねヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ
お泊りは久しぶりで~ε=ε=(ノ≧∇≦)ノキャー
大好きママ、この歳になっても 母親にべったりな私。
でも忘れてはいけないことは 母にべったりでも嫌な顔ひとつしない父と旦那にまた感謝。
息子との二人きりの時間ばかりで思うようにできなくて 煮詰まってしまいだしたら
母のもとへ・・・
おっぱいを与えないといけないのに 食欲が全然ない日が続いたら
母のもとへ・・・
天気が良くて車がある日は母のもとへ・・・
ふふふ
自称母マニアです(-ι_☆ )フフフ...
こないだ10年以上ぶりに母の手作り
おはぎ
おはぎを食べた。すごく懐かしくて美味しくて美味しくて
一日に10個も食べてしもた。。。おっぱいカチコチに張って大量母乳放出させた。
もち米は母乳すごい出るようになる。注意だ。
母のおはぎは昔から好評でこの日も80個くらい作って親戚・近所など
母のオハギファンへプレゼント。
石原軍団もびっくりな美味しさ(= '艸')ムププ
アーァ、写真見たらまた食べたくなってきちゃったな(笑)
そろそろ寝ないと本気でヤバイな。。。2時半になるε=ε=ε=ε=ヽ(* ̄∇ ̄)ノ
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